Correctionとは何か?

つい最近、あるフォーラムでCorrectionが話題になりました。この問題は次の2つに分けて考える必要があると思います。1番目は、投稿者があとで自分で気づいておかしなところを訂正する場合です。2番目は、自分以外の人の投稿について、その表現に疑問を持ち間違いを指摘することです。
1番目のケースについては、「訂正は議論の流れを乱す」という意見があります。そうならないような方法について機会があったら考えてみたいと思います。
2番目のケースについて、「他人の表現の誤りを指摘することは余計なことだ」という意見があります。指摘される側になって考えてみると、たしかに、不愉快に感じるということは理解できます。しかし、他人の表現・表記について一切議論してはならないというルールは、すこし極端すぎるように思います。学習している言語の表現上の問題点について他人から指摘されることは、私の場合は大歓迎です。誤解を招くような表現を使っていることなどがあれば、ぜひ教えてほしいと思っています。日本語は私の母語ですが、おかしな日本語になっているところがあれば、そして、そのことに私が気づいていないと思われるときはとくに、「さりげなく」指摘してほしいと思います。また、言語学習のコミュニティですから、表現や表記法について「大論争」があってもおかしくないのではないでしょうか。

他人の表現の誤りを指摘する場合、まず指摘さ れる側に許可をもらってください。。それはこのフォーラムでのルール。

”他人の表現・表 記について一切議論してはならない”というルール”はこのフォーラムにない。しかし大部分の参加者はCorrectionを期待していないとおもいます。

「他人の表現・表 記について一切議論してはならないというルールはない」ということについて了解しました。基本的に、議論の「中身」が大事で、それと密接に関わりがなければ、わざわざ「表現や表記」について問題点を指摘しようとする人はいないと思います。

1番目のケースについては、「編集」機能があれば問題はないのだと思います。母国語であっても、きちんと確認してから投稿したとしても、後からちょっと言い直したいことは多々あります。今は、同じ人が自身の修正のために何度も投稿するので、メールが大量に来たり、新着情報が埋まってしまったりして弊害がでていますが、「編集」機能によってこっそり直す分には、その行為を気にする人は減ると思います。

2番目のケースについては、文化の違いや外国語であるがために、いまいち言っている意味やどうしてそういう表現なのかが分からないときに、それついて質問するのは悪いことではないと思います。単なる文法のミスなどは、ここは学習のコミュニティですが、このフォーラムはコミュニケーションのための場所ですので、いちいち指摘する必要はないと思います。完璧な文章で書くことを求められる(それについて指摘される)なら、発言できる人が少なくなると思います。もちろん、私も指摘していただければ、勉強になるしありがたいと思うと思うのですが、それをフォーラムに求めるべきではないと思います。後からYutakaさんが言っているように、中身に関わりがなければ、わざわざそれらを問題にする人は、私もいないと思います。

一般的に言って、言語学習コミュニティでは、その目的や性格にも関わらず——あるいは、それらゆえに——、文法や文法書、文体や文体論などに関係することがフォーラムで話題になると「鶴の一声」が出てくる傾向があるように思います。これがやむを得ないことなのかどうかについては、私はいまのところ判断がつきません。

投稿の編集機能については、私は考えを変えました。「石に刻まれる」言葉として発言する方が緊張感があっていいのではないでしょうか。もし、アルコールに精神を左右されながらパソコンに向かっている人がいるとしたら、「ののしり言葉」などを発してしまわないように気をつけるべきだと思います。「怒りは人を服する所以にあらざればなり」(森鴎外)。