たくさんの人が英語学習法として「多読」を強調していることに最近気づきました。英語の学習で薄いテキスト(リーダー)を読むだけでは足りないということはよくわかります。ところで、いわゆる読書家が「乱読」の体験を語ることはよくあるのですが、この「乱読」と最近話題の「多読」とは同じなのでしょうか。「読みたい本を読む」ということは共通しているように思うのですが、趣旨が少し違うような気がします。
多読は、語彙のやさしいものから段階を追って読んで、(辞書を引かずに)自然に読書に親しんでいくことで、
濫読は、(難易度にこだわらず)自分が興味を持った内容を拾い読みでもいいのでどんどん読んでいくことのように思えます。
学生の頃のことですが、楽器演奏法に読んでいた薄い本にはページ内に未知の単語ばかりでした。それでも、何が書いてあるのかどうしても知りたくて辞書を引きながら読み進めたことがあります。
この方法は、多読のやり方に反しているかもしれません。でも、どうしても内容が知りたかったのでそうするしか他にありませんでした。(もちろん訳本もありません。)これは多読ではなくて、濫読の部類に入るかもしれません。
以下が正しい文章です。申し訳ございません。
学生の頃のことですが、読んでいた楽器演奏法の本の中にはページ内に未知の単語ばかりでした。それでも、何 が書いてあるのかどうしても知りたくて辞書を引きながら読み進めたことがあります。
この方法は、多読のやり方に反しているかもしれません。でも、どうしても内容が知りたかったのでそうするし か他にありませんでした。(もちろん訳本もありません。)これは多読ではなくて、濫読の部類に入るかもしれ ません。
以下、私自身のコメントを書きます。
私も一時期多読のようなものをしていたことがあります。つまり語彙制限されたグレイデッドリーダーや幼児向けの本から順を追って(辞書を引かずに)読んでいく方法です。途中であきらめてしまいました。(私自身に)根気がないのかもしれません。
ただそれより、語彙レベルが高くても毎日ラジオ日本のニュースやラジオフランスのニュースをチェックしたり、音楽の専門書をつまみ読みしたほうが面白いのです。ニュースは現在起こっていることであるから身近であるし、音楽は自分が習ったことなので興味があります。推奨された多読方法を続けていたら永遠にそのレベルに達しないような気すらしてきました。
私は、ハリーポッターのレベルに達する前に、演奏家の自叙伝を読みたいのです。それでも、時々グレーデッドリーダーを読んだりすることもありますが…
多読って英語だから出来るのかしら?と思っています。
日本人であれば、英語に対して予備知識があるので、まったく辞書を使わずとも多少は理解が出来るのでしょうが、スペイン語の勉強を始めたとき多読方式でやろうと思いましたが、1つも知っている単語がないし、文法の知識もなかったので、辞書を引かないとまったく理解できませんでした。
また、多読では自分のレベルに合わせて「このシリーズから本を選ぶと良いよ」とアドバイスしてくれる人も必要ですね。
私も幼児向けの本を辞書も引かずに多読するより、興味のある短文を辞書を引きながらでも読んだほうが勉強になるような気がします。
私の感覚としては、
多読=言語学習者が「たくさん読むこと」
乱読=読書愛好家が「たくさん読むこと」
で、目的が違うだけで行為そのものは同じなのではと思います。
私もgraded readerが苦手です。難易にかかわらず楽しく感じるもの・興味のある
ものを(必要があれば辞書を引いて)読みます。
酒井先生すみません。
「濫読(乱読)の本質はその自由性にある」ということでしょうか。